2016년 4월 15일 금요일

ブログ13
この学期が終わってから。。。
この学期は私の大学人生の最後の学期だ。卒業する前に韓国にある広告の会社に入るために職務適性検査試験を取って合格したらインタビューができる。じゃなかったら2016年下半期に志願するつもり。私はいつからか広告に興味があって、インターンシップをしながら「この仕事をしたら楽しそうだな」と思った。

たくさんの卒業生達はしたい仕事がないとよく言うけど、私はその一人じゃない。運がよくて広告の魅力を若くして見つけて、したいことがはっきり決めたことに本当に感謝する。広告の会社で勤めながら日本での、アメリカでの、パリでの経験が役に立つように願っている。就職活動の間毎日何回も広告業界でのえらい人になっているかもしれない私の将来を想像しながら力をもらって今まで頑張った。もう少し頑張って夢にもう一方近づこう。

2016년 4월 8일 금요일

ブログ12
私は2003年の春、神戸に引っ越した時始めの3ヶ月間は日本の小学校に通いました。とてもいい思い出を作っていろんな親切な人々に会いました。その三ヶ月が多分私にとって一番温かい思い出の一つだと思います。日本の小学校に通い始めた頃は日本語が全然しゃべれなかったけどどんどん友達を作って行って日本の教科書を勉強したり、日本の歌を歌ったりして日本語がすぐ上達しました。でも私はその時日本語を始めて習うのだったので、標準語と大阪弁を区別することができなかったです。学校での友達が使う言語が大阪弁とは全然思わなかったのです。
そしてその3ヶ月が終わって国際学校に転校する前に私が生まれた都市東京に家族旅行をしに行きました。私が生まれた前にも私の親が仲良くしてた家族に会いました。その家族の子供夢ちゃんと友達がなるように 神戸に引っ越してからの3ヶ月間一生懸命勉強した日本語を少しずつしゃべりました。彼女が「ミンジは日本の学校に通ってるの?」と聞いた時私は「ちゃう、8月から国際学校に通うねん。」と答えました。夢は大声で笑い、「ね、ママ聞いた?ミンジの関西弁面白いよね。」と言いました。みんな笑い始めた瞬間、私は何かおかしいことを言ったのかなと思い、恥ずかしくて顔を上げられなかったです。

食事の後父に聞いたら私がしゃべった言葉の中で大阪弁が混ざっていて東京に住んでいる夢はそれが面白かったのだと教えてくれました。その時初めて韓国だけじゃなく日本でも方言があるんだなと分かりました。少し恥ずかしかったけど面白い思い出になった経験です。

2016년 4월 1일 금요일

ブログ11

「好きなものを持っていることは楽しい。好きな人がいるのはうれしい。しかし、その喜びはいずれ悲しみに変わる。好きなもの、好きな人はいずれ消えてしまうのだから。だから、好きなものをたくさん持っている人ほど、悲しみもふえる。」
             ―「つめたい夜に」からの引用

 最初に登場する「デューク」という犬はもう世界にいない犬です。デュークが亡くなってから彼女が苦しんで泣いてる時電車から彼女を守ってくれる少年が登場します。その少年に心が騒いだ(さわいだ)けど彼の顔をよく見たらデュークにとても似ている感じがしました。その時から彼女はデュークは永遠(えいえん)に世を去る前に自分を愛してくれた彼女に別れのあいさつをしに来たと感じます。ぐっと胸がつまって、本当にデュークが合ってるかな?と思う瞬間(しゅんかん)、「今までずっと、僕は楽しかったよ。それだけ言いに来たんだ。じゃあね。元気で。」と少年は言いました。彼女はその少年がデュークだとは言いませんでした。でもそうかも知れないと余韻(よいん)を残し、デュークが幸せに世を去ったと読者を考えさせる。私はこれを感じた彼女がもう悲しまないから本当によかったと思いました。

「デューク」の作者江国香織さんは「女性村上春樹」という評価をもらい、「冷静と情熱の間」という長編小説・映画でとてもよく知られています。でもこれ以外にもたくさんの短編小説を書きました。「デューク」は「つめたい夜に」という21篇の短編小説でまとまっている小説集の一遍でたくさんの人に愛されています。

 この小説を通じて江国さんは死とそれに関係がある感情が深くかくれています。でもこのエピソードではそれは完全(かんぜん)な悲しみじゃなくて生の一つの課程(かてい)だとこまごましく言う。愛してるだれかを亡くすこと、それはもちろん悲しくて痛いことだけど、残った人はその痛みを乗り切ること。でも残った人生を続いて進んで行かなくちゃならないということが大事なメッセージだと思います。


 こういう風にあまり長くもない、内容もたくさんじゃない本からこんな深い意味が見つけられるなんては思わなかったです。たしかにこれが短編小説の魅力(みりょく)だと思います。

2016년 3월 27일 일요일

ブログ10

もし私が「旅する本」を見つけたら、忙しい都心のどこかで見つけると思う。その忙しい所みたいに私の頭は複雑でどの方面に行けばいいか分からない状態だと思うからだ。その本を見つけた私が本を読み始めるとこんな本だと思う:主人公は平坦な人生、自身がない自分に疲れて行く。それで決めたのが一人旅を出るのだった。それで家族と離れる。旅を出る前には知らなかった不安感、さびしさ、人々との交流、真実じゃない人々からの傷の痛みを感じる。
やっと家族の大切さ、心を休めるところの大切さなどのささやかな幸せさに感謝する。旅に行ってた間多くのことを感じて人生を切り抜けられる自身を持つ。後自分がすてきな人だということに気づく。私自身が自身を愛しないと家族以外に誰が私を愛してくれるかと思って自分を愛し始める。旅が終わって家に帰ると家族を抱きしめて限りなく泣く。

2016년 3월 20일 일요일

ブログ9

今年の春休みは大学での最後の春休みだった。最後だから意味のある旅行をしたかった。なので友達が学校にかよっているボストンとプロビデンスに行った。最初のストップはボストンだった。ボストンのダウンタウン、ニューベリストリート、ハーバード大学、MIT大学などのところをたくさん歩いた。ロサンジェルスでは普通に女性二人で歩くいても危ないのでボストンでは道を歩くだけでも嬉しかった。ハーバードとMIT大学はとても立派でUSCと全然違う雰囲気だった。たしかにハーバードの生徒もUSCの生徒達のと全然違って、やっぱり住んでいる都市によって人の雰囲気も違っていくんだなと思った。


月と火曜日はプロビデンスでうろうろした。プロビデンスは小さな町でダウンタウンと言うところもない町だ。そこで住んでいる友達はロサンジェルスの天気をうらやんだけど、私は逆にその友達をうらやんだ。いつも曇りで雨がたくさん降るところに大学があるなんてとてもロマンチックだと思うからだ。ブラウン大学のキャンパスはとてもきれいでダウンタウンみたいなところもかわいいカフェがたくさんあって本当にきれいだった。これで私の春休みは終わった。その四日は魔法みたいな四日だった。

2016년 3월 6일 일요일

ブログ8

しゃぶしゃぶは私にとってとても思い出がたくさんある食べ物で今でも自分でよく作って食べる。しゃぶしゃぶは野菜、肉など色々材料を熱い肉汁に入れてゆでて食べる和食。ソースは普通ごまたれとポン酢を使う。しゃぶしゃぶは私が神戸に住んでた時母が 寒い冬によく作ってくれた料理だ。

父は仕事が、兄はサッカーやバスケの運動活動が終わって6時ぐらいに家に帰ってきたのでその時間に合わせて母が材料を準備した。私はその時小学・中学生で、母のそばで料理の準備を助けてあげた。そして父のジャズのコレクションから好きなCDを選んで音楽をかけた記憶がある。

しゃぶしゃぶは母が台所で作ってテーブルに出すのじゃなくて、材料を食べやすい大きさに切って、テーブルにみんな集まったら一緒にゆでて食べる料理だ。だからそれをしながら対話が自然に続いて料理だけじゃなく私達の対話に集中できるので子供の私には一番いい思い出に残っている。しゃぶしゃぶは韓国に帰国した後にもよく食べた。


夕食のメニューがしゃぶしゃぶの時は毎回家族と神戸でのいい思い出を出して話す契機になる。私の家族にとって神戸での生活は親戚がいなかったので家族と言う単位がとても大切に感じられてお互いの存在をありがたさを切実に感じられたとても大切な思い出だ。だからしゃぶしゃぶは私の家族に神戸で感じた家族の温かさを反芻させる料理なので私の一番好きな食べ物になった。

2016년 2월 20일 토요일

ブログ6
の国韓国では人々が国籍という言葉にどんどんいろんな意味をつけている。ここ数年突然アメリカやカナダに留学生が増えていって、帰国生徒が多くなり国籍の範囲が広がっている。たくさんの人が留学して、他の国で旅行をして視野を広げて来る趨勢だ。何十年前にはとても伝統的な考えをもっていったけど、その間私の国は早く成長しものすごくグローバルな国になった。は記事などを読むとこのトレンドが本当だということが分かる。

でも成長した速度が速すぎて社会の考えはそうだけど、個人達はまだだと思う。では外国があまりいないので韓国でうまれて育った人達には外国人がまだ珍しくてなれていない。なのでもちろんその人が少しだけ違う行動をしたら理解しようとしなくて偏見を持つ。たとえば宗教が違ったら何でその宗教を信じるか理解できないこともある。


民族というのは韓国で中年の人達がよく使う言葉でみんなを一つに合わせるために使われている。でも民族と言ったら韓国人、肌色が黄色くて韓国語をしゃべる人の団体を指すのだ。国語をよくしゃべって韓国の料理をよく食べても白人や黒人だと韓国の民族とは勘定しやらない。これは韓国の社会はグローバルな国に進んでいるけど、個人達はまだまだ上達する必要があると言う話しだ。